夢は何語で見ますか 人生の半分ほどを英語圏で暮らしていたからか、「何語で考えているの?」と聞かれることが多々あります。自分は何語で考えているのか…とらえどころのない質問について考えることが一つのライフワークになっているような気になることがあります。人によるところが多いと思いますが、私の場合最近はそもそも「言語で考えていないのでは」と思うようになりました。漫画の吹き出しのように特定の言語で考えるというよりは感情やイメージが思考を埋めていて、誰かに考えを伝えたい場合その相手が何語を理解するのか、それによって言語というフィルターを通って語言化されるイメージです。もう一つよく聞かれるのが「夢は何語で見ているの?」です。これについては、最近までは現実世界と同じく話している相手が日本話者なら日本語、英語話者なら英語と答えていました。しかしある時自分が話すはずもないブルガリア語を話している夢を見ました。正確に言うとブルガリア語で会話が成立した感覚を夢で体感していたのだと思います。実際には話せなくても夢の中ででは話せることになる。我ながら新たな発見をしました。脳の仕組みは驚きと不思議に溢れているなーとしみじみ感じた出来事でした。